「哲学カウンセリングって、具体的に何をするんですか」

これも、よく聞かれる質問だ。

これまでの記事で、哲学カウンセリングが扱うのは「問いの形」だと書いてきた。問いを丁寧に扱う実践だと、書いてきた。でも、それを言葉で説明すればするほど、抽象的になっていく。

なので今回は、ひとつのセッションを、なるべく具体的に書いてみる。これは特定のクライアントの話ではなく、複数のセッションの構造を組み合わせて、典型的な流れを再現したものだ。

仮にこの人を、Aさんと呼ぶ。三十代後半、会社員。持ち込まれた問いは、こうだった。

「今の会社を辞めて転職するべきか、続けるべきか、決められない」

非常によくある問いだ。コーチングや、キャリア相談でも、毎日のように扱われている問いだろう。哲学カウンセリングの場では、この問いに対して、AかBかの答えは出さない。代わりに、私は最初に、こう尋ねる。

辞めるべきか、続けるべきか——この『べき』は、誰の『べき』ですか?」

Aさんは、一瞬、戸惑った表情をした。「誰の、というのは……」

「いま、あなたの中で『辞めるべきだ』と言っている声と、『続けるべきだ』と言っている声があると思います。その声は、どこから来ていますか」

Aさんは、しばらく沈黙した後で、こう答えた。

「辞めるべきだ、と言っているのは……たぶん、自分の本音、というか、もう疲れた、という気持ちです。続けるべきだ、と言っているのは……家族の生活のこと、世間体、あと、ここで辞めたら逃げになる、という感覚」

私は、「逃げになる」という言葉をメモした。

「『逃げになる』というのは、何から逃げることになるんでしょうか」

「えーと……仕事の責任、ですかね。あと、続ければいつかは報われるかもしれないという可能性」

仕事の責任から逃げる、と、続ければ報われるという可能性から逃げる。この二つは、少し違うものですよね」

「……あ、たしかに、違いますね」

「Aさんにとって『逃げ』と感じているのは、どちらの方が強いですか」

Aさんは、しばらく考えた。

「……可能性、の方かもしれないです。今の仕事の責任を放り出すのは、引き継ぎをちゃんとすれば、それは大きな問題じゃない。でも、ここで辞めたら、もしかしたら数年後に得られたかもしれない何かを、永遠に得られなくなる——その方が、怖いです」

「では、Aさんが向き合っているのは、辞めるか続けるかではなくて、まだ来ていない未来の可能性を、自分で諦めるかどうか、という問いに近いですか」

「……はい、たぶん、そうです」

ここで、最初の問いの形が、すでに変わり始めている。

「辞めるべきか、続けるべきか」から、「まだ来ていない未来の可能性を、自分で諦めるかどうか」へ。前者は二択の問いだが、後者は、二択以前の問いだ。

哲学カウンセリングのセッションでは、こういう瞬間がよく訪れる。

最初の問いは、たいてい、社会の言葉でできている。「転職すべきか」「結婚すべきか」「親と縁を切るべきか」——これらは、誰かに相談する時に使いやすい形に整形された問いだ。整形されているから、本人が本当に向き合っているものが、見えにくくなっている。

問いを丁寧にほどいていくと、その下から、もっと個別で、もっと不揃いな、本人の問いが出てくる。

セッションは、まだ続いた。

可能性を諦める、というのは、Aさんにとって、どんなことを意味しますか」

「……」

しばらくの沈黙の後、Aさんは、ゆっくりと話し始めた。

「子どもの頃から、可能性を狭めるな、と言われて育ったんです。選択肢を増やせ、と。だから、可能性を諦めるというのは、自分が育てられてきた価値観そのものを、裏切ることになる」

「その『可能性を諦める』というのは、新しく発生するかもしれない可能性は考慮されてますか?」

「……え?」

「何かを辞めるということは何かを始められるということではないですか?」

「確かにそうです」

「もしそうなら、新しく何かが始められたかもしれない可能性もありますね」

長い沈黙があった。

「……あります」

「可能性は常にいつも同じでそこにあって、狭くするか広くするかは自分の考え方次第かもしれませんね」

「……そうかもしれません。可能性を狭めることが裏切りなんじゃなくて、そもそも抱えきれないものを抱え続けようとしてきたことが、しんどかったのかもしれないです」

ここで、セッションの六十分の、半分以上が経過していた。

最初の問い「転職するべきか、続けるべきか」は、もう、その形のままでは残っていない。問いは、何度か組み変わって、いまは「そもそもなぜしんどいのか」という問いに、たどり着いている。

私は、ここで答えを出そうとはしない。話し始めるのを待つ。最初の発話は、Aさんの仕事だ。この先も色々なやり取りを行うことになるが、厳密に言えば私の仕事は、ここまでだ。問いをここまで連れてきた。あとは、Aさんが、この問いを抱えて日常に戻っていく。

セッションの最後、Aさんはこう言った。

「答えが出たわけじゃないんですけど、なんか、ちょっと、息ができる感じがします」

これは、哲学カウンセリングのセッションの後で、よく言われる言葉だ。

答えは出ていない。状況は何も変わっていない。会社を辞めるべきか、続けるべきか、まだ分からない。でも、問いの形が変わると、呼吸の深さが変わる。これは、私自身も繰り返し経験してきたことだ。

問いの形と、呼吸の深さの間には、関係がある。誤った形の問いを抱えていると、息が浅くなる。問いが自分の形にフィットすると、息が深くなる。それがすなわち、楽になるということかもしれない。

サイトの「お客様の声」のページに、こう書かれている人がいる。

「答えを出しに来たのに、問いごと変えられて帰ることになりました。でもそれが、ずっと必要だったことだったと思います」

これが、哲学カウンセリングの仕事を、たぶん、一番端的に表している。

問いごと変えられて帰る。 答えは持ち帰らない。 でも、何かは変わっている。

その何かが何なのかは、セッションを受けた人それぞれが、自分の言葉で、後から見つけていくことになる。